イラストを描いていて、歳を重ねる毎に「下絵を描く回数」がふえていることは承知している。昔は1〜2回下絵を描いてその上からがしがしペンを入れていたのだが、満足するフォルムがなかなか取れないので、比較的薄い紙に描いてはトレース、トレースしてはまたその上から描き、という作業を繰り返す回数が多くなった。
これは「単に満足をする線がなかなか引けなくなったから」なのか、あるいは「満足するハードルが歳とともに高くなっているから」なのか、願わくば後者であれ、と願ってはいるものの、自分で判定することはなかなかむづかしい。
ところで僕が絵を描くときに愛用している消しゴム「ノンダスト」は、消しゴムかすが細かくならないところが長所だが、やや粘度が高いので紙を巻き込む、という欠点があって、力加減を間違えると薄い紙など破れてしわしわになってしまう。
まだ新しい、真四角の時は角で細かいところを消せるのはいいけれど、紙と接する面積が広いのをいいことに力任せに下描きのの線をごしごしこすって、下描きした紙が破れて後悔したことは両手で数えても足りないほどだ。
その消しゴムの大きさが手で持ちやすく、しかも接地面積が広い、ちょうどいいサイズである時間はあんがい短くて、ふと気づくと指で持ちにくい上に、接地面積が狭いので消すのにえらく苦労するようになっている。
で、小さいところなら消せるからもったいないし、と捨てずにそこいらに転がしておくと、結果こんなサイズの消しゴムが作業机の上に溜まっていくことになる。
消しゴムのみならず、経験ありませんか文房具のこんな状態これが邪魔。筆記用具トレイの中、作業用具の入った引き出しの中、さらに机の上のあちこちに散らばっている。でも捨てられない。結果、ふとした拍子に机から落ちて床を転がってゆく。で、知らずに素足で踏む。これが痛いのである。
この日も2度ばかりこの消しゴムを踏んでしまって足の裏の痛みをこらえつつ外出。国立劇場小劇場で毎月開かれる「落語研究会」、トリは落語協会会長・柳亭市馬師匠の「三十石」。いや〜堪能しました。
今回の一品は「三つ葉と油揚げの煮浸し」。
味が染みた油揚げがいいですね
江戸時代、京都・伏見と大阪の八軒家・淀屋橋・東横堀・道頓堀、4箇所の船着き場を結ぶ交通手段として親しまれていた「三十石舟」。米を三十石分積むことができるので俗にこう呼ばれたという。
その三十石船に乗って京都から伏見へ向かう船旅をモチーフとした落語「三十石」を僕が初めて聴いたのはたしか桂米朝さんの高座で、その後、録音で松鶴、枝雀、小南、各師匠の高座を聞いて、聞く度に笑っていた。この噺が好きなのだ。
圓生師匠の録音も聞いた。圓生師匠の「三十石」はちょっと上方の「三十石」とは違ってメインの船旅が「なぞかけ」で、最後の「舟歌」もないが、これはこれでたいへん面白い。
演者によって噺の発端には違いがある。京都から大阪へ向かうにあたって、旅人が京土産に「伏見人形」を買おうとする挿話から入る演り方、あるいはいきなり船宿の「待合室」で「乗船客名簿」を書かせるところから入る演り方などなど、演者による創意工夫が見られるところもこの噺の魅力だ。
さらに噺の中に盛り込まれた「三十石船にまつわる逸話」、的確な場所に挿入される多彩な「くすぐり」、「情景描写」、「市井の人々の息づかい」そして最後の「舟歌」では喉を聞かせる……と、落語の高座の楽しさが凝縮しているような趣だ。
市馬師匠の高座は東京落語ながら圓生師匠の「なぞかけ」ではなく、ほぼ上方式。主人公の2人が「江戸からの旅人」という設定こそ圓生師匠と同じだが、全体的には上方式である。
京・伏見の船宿「寺田屋」の待合室。京見物に来て大阪へと向かう江戸の旅人2人を交えた人々の様子、番頭と客のやりとり、乗り込み、そして出船、船頭と客の掛け合い、橋の上にいる芸妓と船頭の会話……。江戸時代の大阪の空気をすっているような錯覚さえ覚えるような会場のしん、とした雰囲気がたまらない。そして舟歌。
この最後に唄われる「三十石船頭の舟歌」を聴いていると、僕はなんだかいつも夢見心地になってしまう。市馬師匠の船頭歌は、江戸前の声質と、その持ち前の喉の良さのせいか以前に聴いた舟歌よりも心に響いて、サゲもなく、舟が闇夜に沈む川の中をゆらり、と進んでいくのを後ろから見送っているような気分になって、少しだけ目頭が熱くなったのだった。
そんな「場内がしん、として高座の声にうっとりと聞き惚れている瞬間」は、まるで自分が噺の中の世界に入り込んだような、ちょっとした「心の真空状態」めいた忘我の不思議な空間にいる気持ちになる。そしてその瞬間が落語の醍醐味のひとつ、とも言えるのだが、その空間からエイ、とばかりに一瞬にして現実世界に戻すものがある。携帯電話の音だ。
会場内は「アンテナ」が立たないような設備が施されていて受信はできないが、危ないのは定時を知らせるアラームだ。トリの高座が行われているころ、しかも噺の終盤でいちばんいいところにさしかかる午後9時という時間がもっともアブナイ。
たしか志ん朝師匠が亡くなる前年の高座、あれは「大工調べ」だったか「愛宕山」だったか。ともかく体調を崩して高座に元気のなかった師にはめずらしく、テンションの高い高座を聴かせてくれていたときのことだった。
サゲ間近、いちばんいいところで、客席に電子音が響いた。そのとき、場内に一瞬「殺気」のようなものが走ったことを覚えている。
それは気分よく部屋を歩いているときに「チビた消しゴム」を踏んだときに覚える不快感の数倍はあろ
うかというほどの嫌悪感で、客席と高座のガッカリ感が相乗効果を生んで、それはすさまじいものだった。市馬師匠「三十石」の夜もその高座でこそ鳴らなかったけれど午後8時に鳴らしたヤツがいた。あれをきっかけにみんな電源を再度確認したことは間違いない。
チビた消しゴムと携帯音。なかなか捨てられないし、ないと困るものだけれど時として災厄を招くという点で共通する。消しゴムは捨てればいいし携帯は電源を切ればいい。どちらも簡単なことなのについ、と心の隙を突くように嫌な思いをさせられるのは困ったものであります。
観劇・鑑賞中は携帯の電源、切るようにしましょう。舞台見物ファンからのお願いでした。
かくして今回は珍しく本来の「酔っぱライ部」式に「ライブ」のご報告。落語ってホントにいいもんですね、携帯さえ鳴らなければ、と書いて今回のかんたんレシピは「三つ葉と油揚げの煮浸し」。
先に書いた「イカ」を使ったレシピよりもさらにシンプルにした一品。決め手はみじん切りの生姜です。庭に自生させている三つ葉は香りが強くておいしいですが、市販の「糸三つ葉・根三つ葉」でも充分おいしくなると思います。
てなことで今回はコレギリ。今年も残すところあと2カ月あまり。皆様冬に向かって体調崩されませんよう。次回更新は11月4日の予定です。
【Panjaめも】
<「三十石」いろいろ>
●笑福亭松鶴
●桂米朝
米朝師はコチラも
●桂枝雀
●桂小南
●桂小文枝
●三遊亭圓生
●枝雀「三十石の船頭歌」
●柳亭市馬「三十石」。CDが出ています。
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