日本を舞台に描くマーティン・スコセッシ監督渾身の一作が遂に完成。 17世紀江戸初期、激しいキリシタン弾圧の中で棄教したとされる師の真実を確かめるため、ポルトガルから日本にたどり着いた若き司祭ロドリゴ。彼の目に映ったのは想像を絶する日本だった。信仰を貫くか、棄教し信者達の命を救うか–究極の選択を迫られる。
原作と出会ってから28年。アカデミー賞受賞の巨匠マーティン・スコセッシが激動の現代に「人間にとって本当に大切なものとは何か」を描き出す壮絶なドラマ。
戦後日本文学の最高峰とも称される遠藤周作の「沈黙」(新潮文庫刊)を、『タクシードライバー』、『ディパーテッド』のマーティン・スコセッシ監督が完全映画化した『沈黙-サイレンス-』(原題:Silence)が、2017年1月21日(土)より全国公開。その公開が迫った、1月16日(月)に、都内港区のザ・リッツ・カールトン東京にて、マーティン・スコセッシ監督が来日し記者会見を行った。
Q:まずは、ひとこと挨拶をお願いします。
スコセッシ監督:積年の思いで今回やっと「沈黙」を完成させることができました。日本のみなさんにこの作品を受け入れてもらえ、私としては夢が叶ったという思いです。
Q:映画が完成して、日本の方々に伝えたいことは?
スコセッシ監督:長い年月をかけ完成した作品ですが、最初に原作を読んでから、どういった解釈で作品を作るか?なかなか答えが見つからずにいました。当時の宗教観や自分の中にあった疑念、日本の文化に対する理解がまだそこまでなかったことなどがあります。試行錯誤の旅でした。歳を重ねていくことでもいろいろと学びました。作品は完成しましたが、これで終わりだとは思っていません。この映画とともに生きているという感覚を持っています。
Q:この作品は、バチカンで昨年上映されましたが、その時の様子について教えてください。
スコセッシ監督:教皇に作品を実際に見ていただいたかは確認できていません。忙しそうにされていたので。小さな部屋でお会いさせていただきましたが、相手を緊張させない方で、リラックスした状態で会話ができました。「雪のサンタマリア」のお話や、長崎、イエズス会のお話をしました。最後に私のことを祈ってほしいとお言葉をいただきました。上映には100人ほどいらしていただきましたが、前日にもイエズス会の方を数百人迎えての試写会を開催しました。その時は、アジアや南米の方々が多く、有意義な対話をさせていただきました。
Q:この作品は、隠れキリシタンの受難を描いていますが、隠れキリシタンから学んだことは?日本の宗教的マイノリティーについて思うことは?
スコセッシ監督:日本のキリシタンたちの勇気と信念に関心せざるおえません。アジアのイエズス会の方のお話は、隠れキリシタンの彼らになされたさまざまな拷問は暴力ですが、同じくらい西洋から来た宣教師も暴力を持ち込んだと。普遍的な唯一の真実であるとして、キリスト教を持ち込んだ。それこそが侵害であり暴力じゃないのかなと。その暴力にどう対処するのか?それは、彼らの傲慢をひとつずつ崩していくこと。キリシタンを直接弾圧するのではなく、リーダーにプレッシャーを与え、上から崩していくという方法を見いだしたのではないでしょうか?ということでした。本作でも描かれるわけですが、踏み絵を踏むことによって、ロドリゴの傲慢が崩されていきます。彼の中の誤ったキリスト教の考え方がくつがえされ、彼は一度、自分を空っぽにしました。そして自分は仕える人になるんだと。そうして彼は真のキリシタンになっていった。日本のキリシタンは、そこに惹かれるんだと思います。慈悲心や人間はみな価値が同じであるといったところです。権威的なアプローチでキリスト教を説くのは日本では違うのではないか?キリスト教の中の女性性が日本に受け入れられるやりかたではないのか?と。
Q:映画「最後の誘惑」は大きな議論を起こしました。本作はクリスチャンからの評価が高いようですが、その違いは?
スコセッシ監督:「最後の誘惑」は、キリスト教の理念やコンセプトをシリアスに探求した作品で、いろいろと議論が巻き起こりました。いろいろな宗教団体に向けての上映会をしましたが、エピスコパル教会で上映した際に、ポール・ムーア大司教から「この作品の問うているところは面白い。私はこの小説が面白いと思うのでこれをお薦めしたい。この作品は信ずることは何なのかを問う作品なんだと」と、その時に『沈黙』の小説をいただきました。
「最後の誘惑」が公開された後、いろいろな議論がなされる中で、私は、自分の信仰心を少々見失いました。何かが納得いかない、ちょっと違うなと思いました。そこで『沈黙』を読みました。もっと探求しなくてはと教えてくれた作品です。この映画は、私の中で大切な作品になっています。信じること、疑うことを描いているので、非常に包括的だと思うんです。人生なんて疑念だらけで、なぜ生まれてきたのか?分からなかったりもします。そうした気持ちが創作意欲をかき立てていきました。
Q:政治的に文化的に大きなうねりのあった時期ですが、この映画のメッセージがどのように伝わるでしょうか?
スコセッシ監督:弱さや懐疑心をこの作品では描いていますが、そういったことを抱えている人に伝わる映画であれば良いなと思います。また、否定するのではなく、受け入れることを描いた映画なので、その部分も伝わればと思っています。キチジロー(窪塚洋介)が、弱きものは生きる場はあるのか?と語るシーンがありますが、この作品は、弱きを弾かず受け入れて抱擁することを伝えています。弱きものは強くなる人もいれば、そうならない人もいる。みんなが強くなければならないということではないのです。
弾かれた人、のけものにされた人が社会にはいますが、そういった人を弾くのではなく、人として知ろうとすることです。
新約聖書で私が一番好きなところは、イエス・キリストは、いやしい人たちの常に側にいたことです。彼の周りには取り立て屋や娼婦がいたりと、汚らわしきを受け入れた。彼らにも神聖になる可能性を見いだしていった。今、一番危険にさらされるのは若い人たち。勝者が歴史を勝ち取っていく世界しか見ていないわけです。それはとても危ないことだと思っています。世界のからくりとはそういうものだと思うわけですから。今は物質的な世界、技術の進んだ世界になっていますが、そういう世界においてこそ、何かを信じたいという心について考えることが大切だと思います。
その後、今でも伝統を守り続けている隠れキリシタン帳方の村上茂則氏が登場。「自分の先祖たちが弾圧を受けるシーンには涙が出てきました。感情が露になる映画です。みなさんに是非観ていただきたいです」と語った。それを受けてスコセッシ監督は「日本の文化、キリシタンの勇気を損なうことのないよう描いたつもりです。忠実に敬意を、そして共感と慈悲心を持って描こうと力の限りを尽くしました。モキチ(塚本晋也)の十字架のシーンには、アメリカのキャストと日本のキャストのみんなが涙しました。本当に真剣に取り組んだ撮影だった。やらなければならない巡礼なんだという感覚を憶えました」と語り、来日記者会見は幕を閉じた。
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原作:遠藤周作「沈黙」(新潮文庫刊)
監督:マーティン・スコセッシ
脚本:ジェイ・コックス 、マーティン・スコセッシ
撮影:ロドリゴ・プリエト
美術:ダンテ・フェレッティ
編集:セルマ・スクーンメイカー
出演:アンドリュー・ガーフィールド リーアム・ニーソン アダム・ドライバー
窪塚洋介 浅野忠信 イッセー尾形 塚本晋也 小松菜奈 加瀬亮 笈田ヨシ
配給:KADOKAWA
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公開:1月21日(土)全国ロードショー
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