書きたいから詩を書く「本が出るとスッとするの」
小田急線「玉川学園前」駅からおよそ歩いて20分の有働薫さんのお宅にお邪魔した。
9月の残暑の昼過ぎ、駅まで迎えにでてくれた有働さんと歩く。緑の多い成熟した町並み。風情のある小さなギャラリーやアンティークのお店が町のそこここに点在する。どれも普通の自宅の庭先にあずまやをこしらえたり、住宅の一部を改造したりしたものだ。
そんなお店をちょっとのぞいてみたり、話をしながらの道のりは少しも気にはならないが、駅からずっとほとんど上り坂。坂を上り詰めると、遠くに町田市街を見下ろしながら丘の稜線を行く感じで、日差しが厳しい。ついた時は顔から背中から汗がしたたり落ちた。
玄関先に茶トラみけのネコが迎えに出てくれた。通された部屋はひんやりとしていて、汗ばんだ肌にすこぶる心地よい。冷麦を飲み終える頃にはもう人心地ついていた。状況を予想した有働さんの気づかいだ。
「一枚一枚、着ているものを確かめる。どんな生地でどんな模様だったか、どんなふうに見えるのかを確かめたら、脱ぎ捨てていくでしょ。そうするとだんだん自分が透明になっていく気がするんです」
自分が透明になるために、言い換えれば自己認識のために詩作するのだと有働さんは言う。
学生時代はフランス文学を専攻し、あそび心で詩を編んだりもしたが、むしろ読む方が好きだった。自らを「詩人」として意識したのはずっと後になってからのことだった。
9人兄弟の真ん中で、子供のころは家族の中で存在感が薄かった。伏目がちで「ダメな私」と思い込んでいる自分がいた。「周りの人間がみなまぶしくて、外の世界から自分を防衛しようと懸命で痛々しいばかりだった」そう20代のころを思い返す。
「つまりネクラだったのね。今でも基本的にはそうなんでしょうけれど」目の前の有働さんからはとても想像がつきにくいことをおっしゃる。
結婚して、男の子を二人育てた。二人の子供が小学生になったころ、突然の夫の「家庭解散」宣言。「口ばっかり」とたかをくくっていたら、下の子が大学を卒業するのを待ちかねたように、ほんとうに家からいなくなった。
「解散だ、解散だって言われたから詩にのめりこんだんだか、詩に夢中になったから解散になったんだか…」今となってはわからないと笑う。
「気がついたら詩にのめりこんでいた。気がついたら夫が家にいなかった」
あんまり屈託なく言われると、つられてことの重大さを忘れ、申し訳なくもつい笑ってしまった。
「これからの時間はぜんぶ自分用よ」
長男は既に一家を構え、有働さんは、いわく「トゲの抜けた亭主」のような次男との二人暮らしをゆったり楽しんでいる。
自身の成り立ちを、その時々の想いを胸の中からつかみ出し、ためすがえす眺め尽くす。その見詰める視線が「詩」を編んでいく。詩に表すことによって1枚1枚脱ぎ捨ててきたからこそ、屈託ない澄んだ有働さんがここにいるのだろう。
そうして編み上げられた詩集は「冬の集積」を最初に、つい最近出すことができた「ジャンヌの涙」で5作を数え、仏詩の翻訳も4作になる。
「それじゃあ、印税とかはどのくらい?」下世話な質問をしてみら、なんとびっくりな答えが返ってきた。
「印税どころか、持ち出しよ。大赤字」
ほとんど一日中、パソコンの前に座る毎日。仏語の技術文書を和訳したり、編集工房から請け負った仕事を黙々とこなし、少しずつ蓄えては詩集につぎこむ。ほとんどは自費で製作して出版社から発行してもらっているのだそうだ。
「それじゃあ、ネット書店でも売られているのは、利益は全部あちら側?」
「さあねえ、どうなってるのか知らないのよ」
1冊出すのに少なくとも100万円はオーバーするだろう。「ジャンヌの涙」では、どうしてもジャンヌ・ダルクの生家を見てみたくてフランス東部・ロレーヌ地方のドンレミ村へでかけた。詩作のための出費は惜しまない。にもかかわらず、売れても1円もバックがないというのも驚きだが、有働さんの、あまりにものあっけらかんとした無頓着ぶりにこそ仰天する。本気で遊ぶ、堂々のあそびすとだ。
「本が出るとスッとするの」
書きたいから詩を書き、本を出す。1冊出してしばらくするとまた、書きたいことがたまってくる。どう書けばきちんと表現できるのか、なんとかいい本ができれば、それだけが関心事で、その他のことは気が回らないという。
「ある時から時間が動いてないの。大人になれてない。成長が止まっちゃったのね」
何気なく目を伏せた有働さんの面差しの中に、確かに純な少女がいた。
4作目の詩集の表題にもなっているシンガポール滞在中にみつけたタバコ「surya・スーリヤ」を有働さんと一緒に吸ってみた。吸い口がとても辛いわりに、後で口の中や唇の辺りに不思議な甘味が残った。
有働さんはひどくむせてしまった。
スモーカーの筆者に無理に合わせてくれたのではと心配した。
11月の初旬、一帯のギャラリーが一斉に催しものを企画して大勢の人たちにギャラリー巡りをしてもらおうという「ギャラリー・ウォーク」が計画されている。いい日を選んで有働さんと歩いて回ろうと約束した。
【詩集】
冬の集積 著者の最初の詩集。
ウラン体操 兄貴思いの優等生の妹ではなく、ロボットの悲哀にいらだつ脱家族の風来坊ウラン。ユーモアと透視の眼をもった著者の第二詩集。
雪柳さん 様変わりしていく日常の中のディテールを描く-。『詩学』『ティルス』『蘭亭記』『セルヴォ』『デルタ』などの詩誌に寄稿した作品を中心に15篇を収録。
スーリヤ スーリヤとは太陽神。その子供は最初の人間となる、と神話にある…。神話から現世に降りたち自由になった詩人のセンシブルなアリバイ詩集。
ジャンヌの涙 著者渾身の最新作
【翻訳】
夢みる詩人の手のひらのなかで 世界を新しく夢みる詩人が現れれば、その分だけ世界が新しくなる。私たちに新鮮な感動を与え、新しい世界へ導いてくれる詩の数々を生みだしているモルポワの初の日本語訳詩集。限定500部。
エモンド 「詩を柩に納めること」から詩を書きだした詩人・モルポワがフランスや樹木をテーマに書いた詩集。
閉ざされた庭
ぼくが公園でホームレスとして暮らしているわけは、目の前でレイプされる恋人を救えなかったから。幾度もの冬が過ぎ、再び姿を見せる恋人…少年に回復は訪れるのか?ラングドック・アカデミー小説賞受賞作。
青の物語
フランス現代詩のもっとも優れた詩人の一人であるJ=M・モルポワの代表的詩集。多年この詩人の作品に親しみ、翻訳紹介に努めてきた訳者ならでは。「青」をキーワードに、幅広い「世界の詩的再解釈」。
【プロフィール】
詩人
1973年
白水社『仏和理工学辞典』第三版編纂に参加。
1982年〜1985年
詩誌『詩学』のコラム「フランス詩=今日」担当。
1988年〜1997
同誌のコラム「レスプリ・ド・ラルース」担当。
詩集 1987年『冬の集積』詩学社、1994年『ウラン体操』ふらんす堂、2000年『雪柳さん』ふらんす堂、2002年『スーリヤ』思潮社、2005年『ジャンヌの涙』水仁舎。
訳書 1980年ジョルジュ・デ・キリコ『キリコ回想録』立風書房(共訳)、1992年J-M・モルポワ『夢見る詩人の手のひらのなかで』ふらんす堂、1995年J-M・モルポワ『エモンド』ふらんす堂、1998年レジーヌ・ドゥタンベル『閉ざされた庭』 東京創元社。