「俺でいいの?本業でDJやってる若い子のほうが記事になるんじゃないの?」
ケーブルテレビの工事業務で生計を立て、趣味としてDJ活動をしている52歳の依田さんは、そう言って笑った。
彼の噂を耳にしたのは今からおよそ3年前。
「もう50近くの人なんだけれど、DJをやっていて、踊るのも踊らせるのも大好きな夜遊び好きがいるんだよ」と聞けば当然興味津々。なんだ、そのおっさんは?
元々ソウル・ミュージックが好きだったという依田さん。90年代半ばに訪れたフリー・ソウル・ブームの折、「おすすめはどんな曲?」「あの時流れていたのは何というタイトル?」と周りから質問されることが増えたそうだ。いちいち説明するよりも、とミックス・テープを作って配るようになった。それが「初めてにしては我ながら上出来」で、予想以上に好評だったことから、「自分でもDJをやってみようかなと思った」という。38歳の頃だ。
単発で何度かクラブでのプレイを経験。その後、某クラブで定期的に開催されていた既存のパーティーにレギュラーDJとして参加。 ちなみにこの時の職業は運送業。
「荷下ろしなんかで体が鍛えられて長時間踊るのも苦じゃなくなったし、夜勤だったからクラブで遊ぶにはもってこいの生活サイクルだったな」
しばらくして、仕事の都合でパーティーのために時間を割くことが難しくなり、出演を降板。しかし、依田さんの評判は口コミで広がり、単発でのDJ依頼は後を絶たなかった。
「定期でやっていた時にかけていたのはハウス(70年代後期のシカゴで、ディスコ、ソウル、ファンク、R&Bなどの影響を受けて誕生したダンス・ミュージックのひとつ)中心。でもやっぱり原点回帰というか、また60年代の音にも惹かれるようになって。手持ちのレコードもそっちのほうが多かったからね」
現在プレイしているのは、ラテン・ミュージック、GSなどの和物、60年代ソウル、シカゴや西海岸のハウスと幅広い。「ジャンルがバラバラで、それを強引にミックスする無茶さを面白がってもらっているのかな」
「人前でレコードを回していると、だんだんハイになって来るんだよ。自分の好きな音楽で人が踊っている姿を見るのは気分がいい。最初はスカしていても、結局は本性が出てしまうというかね」
そんな依田さんがプレイしている姿を実際に見たことのある私は知っている。ご当人は気づいているのかいないのか、ブースの中でニヤニヤしているのだ。
では、なぜそれだけ楽しめるDJで収入を得ようとはせず、ケーブルテレビ業界に入ったのだろうか?
「運送は派遣でやっていたんだけど、その契約が切れる頃に知り合いから誘われたんだよ。実際にやってみたらただの工事業じゃなくて、人と接して説明したりとサービス業的要素がかなり強い。これは自分に合っていると感じたから。人を喜ばせるっていう点ではDJと通じる部分があるでしょ。それで充分。DJを本職にしようなんて考えたこともない」
だーかーらー!その理由は?!
「え?特にないんじゃない?」
まるで他人事だ。
東京都内にある依田さんのお宅にお邪魔した。家庭用オーディオのほか、3台のレコード・プレイヤーとディスコ・ミキサー、そしておびただしい数のレコードやCD、「トータルで3,000枚くらいあるかな」と棚を眺める。
別室には、やはりおびただしい数の書籍や漫画、雑誌、DVD。
「これでもかなり処分したんだけどね。でもまた増えちゃう。世の中には面白いものがあり過ぎて、部屋も俺の頭の中も収拾がつかなくなってきている」
苦笑いする依田さんは音楽以外にも歴史、映画、俳句や短歌、文学や漫画などについても造詣が深い。つまりは博識なのだ。
依田さんと私は、個人的にも交友関係がある。友人としての目から見て、依田さんの印象は「大人げがない」。
ある時、都市伝説で「秘匿された食用動物」とされている『ゾヌ』についての話をしていた。すると電話の向こうでパソコンを立ち上げ、『ゾヌ』について調べ始めた依田さん。
「あれはビーグル犬の写真を合成したもので、『ゾヌ』なんて生き物実在していないんだよ!いたとして、何科の動物なんだ?!」
いや、いないことなんて私だって分かっているし、なにもそこまで興奮しなくても……。
あらゆる物事を調べ尽くすのは、「知らないことのある自分が許せない」から。そんな大人げのない動機が、彼の博識さに繋がっているのだろう。
いわゆる“世間の常識”で考えたら、ライブ・ハウスやクラブに足繁く通い、DJなんぞやっている50代なんて、それこそ「大人げのない」ことこのうえない。それが私達を楽しませてくれるのだから、これからも落ち着かないまま、依田さんには大人げのないジジイになっていって欲しいものだ。
【プロフィール】
1955年12月山梨県生まれ
東京都在住
“yoda t.”の名義でDJとして活動中