※前回へ
しばらく経った日のこと、
「うーん、うーん」
苦しそうなうめき声が聞こえてきたので、階段の下へ行ってみると、ごんた君がぐったりと倒れていました。
「大丈夫? どうしたの?」
「かまうなっ。じぶんのことはじぶんでかんがえる」
と言ったごんた君は、とたんに、
「うう……いたたたた……」
と、お腹をおさえ、よろよろと立ち上がり、体をくの字に曲げて歩いて行きました。
それから二週間が経ち、私は、掲示板に黒い人の絵を描いたごんた君を心配したり、考えたり、後悔したりしました。先生のおっしゃったことも、どうもよくわからないのです。
人が傷つくことを言ってはいけません。問題に向き合ってください。そこまではわかります。でも、ありがとうの花の苗に栄養を与えましょうって、いったい何のことでしょう。
私は子供のころのことを思い出しました。両親は二人とも無口で、親戚や人付き合いもなく、家での会話の記憶がありません。そして私はいじめられっ子でした。
やめてと言っても、相手が変わっても続くので、そのうちあきらめて、何を言われても何も感じなくなっていました。それに、嫌なことを言われたときはほんとうに嫌な気持ちだったので、自分は言うまいと思ってきたのです。
保育園のパートに通いだしてから、
「どんなお仕事をしているの?」
「まあ、掃除。まだそんな歳ではないのに」
などと言われましたが、ごんた君も、そんな気持ちで私をばかにしていたのでしょうか?
いいえ、きっとアンパンマンとかと同じように言っただけだと思います。
会社勤めのころ、同僚に言われました。
「なんで向かって来ん。黙っているから、なお腹が立つんや。泣くか、言うことを聞けば止めてやるものを」
それでも、私は黙っていました。けんかも嫌だったのです。すると、誰もしゃべってくれなくなりました。無視されて、ほんとうに困りました。
でも、今になってやっと気がつきました。私は、ごんた君に悪いことを言わなかったと思っていましたが、黙っていても、知らずに人を傷つけることはあるのですね。最初に「止めて」と言っていたら、こんなにひどいことにはならなかったはず。
お母さんに会えなくなったごんた君は、つらいから、むしゃくしゃして、八つ当たりしたのに違いありません。しかし、だからといって、八つ当たりでうさばらしするごんた君がかわいそう、気が晴れるならと思っていた私も、間違っていました。
でも、相手を嫌な気持ちにさせないためには、どう話したらよいのでしょう。いくら考えてもわかりません。とにかく「おそうじマンめっ、死ねっ」と言われたときは、ほんとうに嫌な気持ちだったことをはっきり言おうと思いつき、担任の先生のところへ行きました。
すると、先生はおっしゃったのです。
「ごんた君は病気になってお休みです」
土曜日の午後のことでした。
階段を下りて行くと、ベンチに女の人が沈んだ顔で座っていました。そこでよっちゃんが走ってきて、
「お母さーん、よっちの大好きなせんせい、しょうかいしてあげるう。ハルせんせいやー」
と言うと、私の手をとってその人の前へ行きました。
よっちゃんのお母さんは、沈んだ顔のままちょっと頭を下げると、また、すぐに外のほうを見つめたままボソっと言われました。
「あっちゃんがブランコから落ちて、先生におんぶされて病院行ったんだって……、大丈夫かしら? もう長い時間待っているのに……」
すると、よっちゃんは、大きな体でお母さんの胸にかけ登り、首にしがみついて大声で泣き出しました。
「あーん!! おかあさん、よっちのこと、ちっともみてくれん、あっちゃんのことばっかりみとる。よっちのことも、みてほしいよー。あーん!! あーん!!」
お母さんは、手をだらりと下げ、ぼーっと外を見つめていました。
「あーん!! あーん!!」
よっちゃんは、長い間泣いていました。(つづく)
絵・稲葉 美也子