観光地には「ソ連グッズ」を扱う店も1991年12月25日、ゴルバチョフ大統領の辞任によって、ソビエト連邦はその69年にわたる歴史に幕を下ろした。数カ月前から連邦崩壊の流れは決定付けられていたとはいえ、世界の東半分を率いた大国の解体は驚きを持って迎えられた。
そのソビエト連邦崩壊から、今年で20年。ここウズベキスタンも9月1日(注1)、独立20周年を迎えた。独立以来、豊富な資源を片手に自立発展への道をひた走ってきたウズベキスタン。毎年二ケタに迫る経済成長を続け、国民所得は飛躍的に増大した。独立記念日には、幾万の人々が街頭へと繰り出し、国中が祝賀の熱気に包まれる。ソビエト時代の共通語ロシア語を解さない人も増え、街々の広場に置かれていたレーニン像は、そのほとんどすべてが撤去された。若い世代の心に「ソビエトの記憶」はない。
それでも、ソビエトの名残はこの国に未だ色濃く残る。
週末にだけ出現する巨大なマーケット。
この一角に、ソ連製品が並ぶ骨董品売り場もある
コルク抜きには「RIGA」の刻印が毎週土曜日と日曜日、首都タシケント郊外の広大な空き地に、市が立つ。「中央アジア最大のフリーマーケット」とも形容されるこの市の一角にある、骨董品売り場。そこの売り場面積の大半を占めるのが、ソ連時代の品々だ。方位磁針や双眼鏡、空軍パイロットのサングラスなどの軍払い下げ品から、マトリオーシカなどの民芸品、日用雑貨まで、ありとあらゆるソ連時代の製品が並ぶ。それらを手にとり、品定めするのは皆、この国で暮らす普通の人々だ。この日僕が買ったのは、錨型のコルク抜き。驚くほど安い値段で売られていたそれには、リガ(ラトビアの首都。ソ連有数の港湾都市だった)と刻印されていた。
レーニンバッジ日本やヨーロッパなどからの旅行者で賑わうウズベキスタンの観光都市。伝統民芸品を売る土産屋に並んで、「ソ連グッズ」を扱う店があるのも、お決まりの光景だ。ここでの一番人気は、レーニンの顔があしらわれたバッジや徽章。見ると、様々な種類がある。ソ連成立30周年や50周年の節目を祝うもの、オリンピックや国際行事を記念したもの、かつて「英雄」とされた人々に与えられた勲章まで。
記念にと思い、僕もいちばん値段の安かったバッジをひとつ購入した。
皮肉にもそれを買っていくのは、ほとんどがかつて「西側」といわれた国々からの観光客だという。
「俺は、レーニンとソ連に稼がせてもらってるんだ」
ソ連時代に特別な感慨はないと前置きしてから、土産物屋のおじさんは、ニヤリと笑った。
何気なく入ったレストランの紙ナプキン入れに彫られていた、レーニンの横顔。知り合いの家で振舞われたウォッカの、ショットグラスに貼られていたソ連の国旗。ソビエトの影に、突然出会うことは多い。
そして、工業品の分野では、ソビエトの名残はさらに色濃い。国内の航空路線では、ツボレフをはじめとするソ連製航空機が現役で活躍し、ラーダやボルガに代表されるソ連車も、この国では一定のシェアを保ち続けている。地方大学の研究室に置かれている機器にいたっては、そのほとんどがソ連製だ。
未だ現役で活躍するソ連車も多い「ソ連からの脱却」を国家政策の課題として掲げるウズベキスタン。ソビエトを知らぬ世代が増え続け、その時代を知る大人たちも、概して当時を積極的に語ろうとはしない。僕が、"ソ連時代"について尋ねても、口を閉ざす人がほとんどだ。
"ソ連時代"がどのような時代だったのか、僕は日本で語られている「知識」としてしか知らない。僕が物心ついたころにはソビエト連邦という国はすでになく、「ソ連時代」を当事者として生きた人々の心の内を聞くことも難しい。急速な「非ソ連化」が、この国に何をもたらすのかも、判断がつかない。それでも、この国で暮らしていて、うっすらと感じることはある。人々の生活に残るソビエトは、根深い。
※注1:ソビエト連邦の正式な解体は12月25日だが、連邦構成国家の多くが、8月以降連邦を離脱して独立を宣言した。