帽子が語る民族模様

ウズベキスタンへ来て間もないある日、まだ数少なかった知人のひとりから、結婚式に招待された。この国の文化や風習をほとんど知らなかったころ。せっかくの機会、ただスーツで行くのも芸がないと思い、ひとひねり加えたかったものの、礼装についての知識はない。招待してくれた彼に相談してみると、こう言った。

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ウズベク人の民族帽・ドッピをかぶる男性たち
「日本の民族帽子をかぶって来たら、みんな喜ぶよ」
“日本の民族帽子”は用意できなかったが、その一言が“帽子”について意識するようになったきっかけだった。
ターバンやヒジャーブに代表されるように、布で頭を覆うことの多いイスラーム世界にありながら、中央アジア地域では、成形した帽子文化が発達してきた。頭の上にのせる帽子は、頭と同様に大切なものとされ、婚礼や葬礼などの儀式の場では欠かすことのできない衣装の一部だ。
ウズベク人たちはみな、ドッピと呼ばれる四角形の帽子をかぶる。男性用は黒地に白い刺繍が施されたもの、女性用には緑や赤などの刺繍を施した、色鮮やかなものが多い。髪が長く頭でっかちな僕が四角いドッピをかぶると、ホームベースを逆さにしたような、何とも妙な具合になってしまうのだが、短髪で顔立ちのはっきりしたウズベク人がかぶると、体の一部であるかのようにしっくりきて、それでいて味わい深い。
一方、山脈を越えた先に広がるキルギス共和国。言葉も、文化も近しい隣国だが、帽子の形態は大きく異なる。キルギスの民族帽子は、カルパックと呼ばれる、折り返しのついたとんがり頭のフェルト帽。白地に黒い刺繍が施されたものが代表的だ。先ごろキルギスに旅行した際に、しっかりひとつ買ってきた。ある“想い”があったから。

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カルパックをかぶり、馬に乗るキルギス人の少年
親しい友人のひとりに、キルギス系のウズベク人がいる。数年間キルギスでも暮らしていたという彼に、一枚の写真を見せてもらった。キルギス第二の都市オシュで撮ったものだという。フェルガナ盆地の東に位置するオシュは、キルギス系住民とウズベク系住民の人口が拮抗する街。その写真には、そんな様子が如実に表れていた。バザールの風景を撮ったそれに写っていたのは、カルパックをかぶった売り手と、ドッピをかぶった買い手。写真のそこかしこに写り込んでいる人々の頭にのる帽子も、ドッピとカルパックが半々程度だ。
キルギス系同士、ウズベク系同士の結びつきが強く、それぞれのコミュニティが形成されているとはいえ、オシュや、国境にほど近い両国の街々では、ドッピをかぶったウズベク人とカルパックをかぶったキルギス人が、混じり合って生活している。ドッピをかぶった男性が値段交渉をしている横で、カルパックのグループが井戸端会議。そんな光景が日常的に見られるのだ。
しかし去年、若者グループの対立をきっかけとして、キルギスで大規模な民族対立が起こった。オシュでも多くの血が流れ、ウズベク系の住民たちは国境に殺到したという。
「オシュはもう立ち直っている」と、彼は話す。しかしその対立は、直接的に関わった人々以外にも大きな波紋を呼んだ。ウズベキスタンでも「キルギス嫌い」を公言する人が増え、彼自身、キルギス系だという理由で心ない言葉を浴びせられたことも一度や二度ではなかったそうだ。

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我が家に並ぶドッピとカルパック
そんなこともあって僕は、キルギスから買ってきたカルパックを、ドッピの横に並べた。今僕の家には、ふたつの帽子が隣り合って置いてある。僕の家を訪れる友人たちの受けは、よくない。それでも、脳裏に浮かぶのは彼が見せてくれたあの写真の光景、ドッピのウズベク人とカルパックのキルギス人が混じり合って暮らしていたあの図だ。ひそかな願いを込めて、僕はこれからもドッピとカルパックを並べておこうと思う。