友の遺志を受け継いで
さらに次世代に…
某日、「シモン都市設計」のオフィスは休日であるにもかかわらず、なにやら作業する人たちの笑い声が聞こえていた。新開さんが会長を務める「オーロラクラブ」のスタッフたちだ。
「オーロラクラブ」とはこどもたちをアラスカ・ルース氷河へ連れていって氷上生活の体験をしてもらおうというもの。この日スタッフは2006年3月に予定のキャンプの案内やスケジュール、本年3月に行われたキャンプに参加したこどもたちの感想文集、年1度発行の新聞・オーロラタイムスや06年版カレンダーなどを会員に発送するための作業にかけつけていたのだ。
そもそも「オーロラクラブ」は写真家・星野道夫さんが発案。大学時代探検部で一緒だった新開さんや同じく探検部の後輩だった伊藤英明さんとともに立ち上げたものだった。
アラスカの地をこよなく愛し、自らもアラスカに住み、そこに生息する動物や風景などを撮り続けた。極寒の厳しい自然の中での暮らしから学んだたくさんのことは星野さんの人生観、自然観に大きく影響を与えた。その深い感動と自然の贈り物を「こどもたちにも!」の想いが「オーロラのクラブ」の立ち上げにつながった。1991年だった。
96年、5回目のクラブの活動を終えた後、カムチャッカに取材にでかけ、キャンプを設営していた星野さんがヒグマに襲われるという予期せぬことが起きてしまった。
友を失った深い悲しみの中で、新開さんは星野さんの想いを受け継いで「オーロラクラブ」の存続を決意した。立ち上げから関わってきた伊藤さんらスッタフも新開さんと心を一つにした。
来年・2006年は、クラブ立ち上げから15年、星野さんの事故から10年になる。15周年記念イベントは来年の8月5日に東京・代々木のオリンピック青少年センターで開催。星野道雄追悼には、ゆかりのあるジェーン・グールド氏(アフリカで野生のチンパンジーの観察研究)の特別講演の依頼や、アラスカで熱気球を揚げる計画など、目下準備進行中だ。
「つい昨日のような気がするときがあります」
クラブ立ち上げのアイデアが実現するまでの半年間、キャンプに必要な装備をかき集めたり、活動資金のカンパを募ったり、準備に大わらだったころを新開さんは折に触れ思いをめぐらす。
ようやく実現した92年3月の第1回目のキャンプに参加した当時小学生は今では25歳。高校生だった参加者はもう立派な「パパ」になっている。
「そうしてみると、時は流れたんですねー」
第1回キャンプに参加したこどもたちが成人した今も、時々顔を見せてくれたり、活動の手伝いをしたりしてくれるのだという。
眠い目をこすりこすり待ったオーロラの出現に、思わず目を奪われる。参加当時は「楽しかった。面白かった」ことばかりが印象に残ったかにみえて、時を経るにつれ、ルース氷河の上での体験はその自然観、人間観や人生観に大きな影響を与える。時に猛威をふるいもするが、とてつもなく大きく、心身が浄われるように美しい自然を体感し、その中ではちっぽけな人間存在であるからこそ「生きる」意味を真摯に受けとめる。
活動を率いるスタッフも参加者も心をあせてことにあたらなければ、何もできない。「信頼」を軸にした人と人との濃いつながりを否が応でも知ることにもなる。分担された作業については責任をもって遂行しなければ全てが進行していかない。その限りにおいて甘えは許されない。
「みんな強くなって、一回り大きくなります」
星野さんが思い描き、願ったとおり、氷上生活体験はこどもたちを育てている、と新開さんは実感している。 なにしろ東京⇒シアトル⇒アンカレッジまでは空路として、ルース氷河へはタルキートナのポートからセスナで飛ぶより交通手段はない。よしんば活動日程を終えた時点でも天候に恵まれなければセスナも飛べない。根を上げて途中で投げ出すことはできないのだ。
理屈で諭すまでもなく、身をもって全てを学び、意識するとしないとにかかわらず自立心と自己信頼を獲得したこどもたちにとって、その体験は確実にその後の人格形成のターニングポイントになるに違いない。
「いじめで悩んでいたけれど『それ自体がなんてちっぽけなことだったんだろう』と思えたとたん、いじめにあわなくなった」「様々に困難な状況に置かれた時、人生の岐路に立った時、あの体験が胸の底に原風景となって自分を励ましてくれた」「あの時を思い起こせば、どんなことでも立ち向かう勇気が湧いてくる」 かつての参加者たちのそんな声が聞こえてくる時は「活動を続けてきてよかった」と、いっそう嬉しい気持ちになる。
「氷上の医者だって必要でしょ、と言って、医者を目指しているのが二人もいるんですよ」
思えば、その喜びをエネルギー源にして活動を続けてきたと、新開さんは14年を振り返る。
できるだけたくさんのこどもたちをルース氷河に連れて行きたい。そのためにはコストダウンは常に課題だった。NPOの申請もしたが、活動の場がアラスカだからと受理されなかった。NGOはというと、あまりにも煩雑な手続きやその後の必要労力を考えると、ただでさえスタッフはボランティアで活動に参加していて、「仕事」との兼ね合いに苦心している状況下ではとても困難だった。
企業に働きかけ基金を募ることも考えた。マスメディアや装備・装具の関係企業にあてもあった。
しかし、企業から支援を受けることは、それ相応の見返りも要求される。その都度カメラが入ったり、選択肢をせばめなくてはならなくなったり、束縛されたりもする。こどもたちの自然な感性の発露をスポイルしてしまうことを何よりも恐れた新開さんたちは企業をノックすることも断念した。
参加したこどもの親たちをはじめ、クラブの趣旨に賛同してくれる人たちからなる会員の年会費1万円の他には、毎年、製作販売しているカレンダーの売り上げだけを資金源として活動してきた。
カレンダーに使われている写真は、アラスカで撮影された動物や風景で、いずれも、星野さんの遺作。2006年版は既に販売を開始している。
「夏のアラスカも素晴らしいんですよ」
今年試しに実行した夏の企画が好評だったこともあり、アラスカ行き・夏バージョンを軌道に乗せることを新開さんはこれからの目標にしている。アラスカ・ユーコン川のラフティング。川岸でキャンプを設営しながら、10日をかけて川を下る。氷雪の時期とは打って変わってアラスカの大自然が、おおらかで豊かな表情を表すのだという。
嬉しいことに若手スタッフが育ってきていると新開さんは感じている。10回キャンプからスタッフとして参加してきた渡辺直史さんは、今年は新開さんに代わって引率責任者を担当した。渡辺さんと同じ写真家の野村恵子さんと、ボディーワーク、カラーセラピー・セラピストの斉藤万里さんは2004年からスタッフとして参加している。「目標達成は固い」と新開さんは期待をふくらませているのだ。
「そうやってオーロラクラブが広がって続いていけば、星野の遺志に報いることになるでしょう」
新開さんは顔をほころばせた。
【プロフィール】
建築コンサルタント会社「シモン都市設計」経営
「オーロラクラブ」会長