「伝え続ける」ということ
「護る」ということ…
春号、夏号、秋・冬号の年3回発行。雑誌『軽井沢 Vignette・ヴィネット』は今年、創刊27年を迎える。広川小夜子さんが編集長として、軽井沢の自然や文化を伝え続けてきたのだ。
年間750万人、夏場だけでも400万人がこの地を訪れるという軽井沢の常連さんはもとより、東京、大阪、神戸など、主要都市でのファン層も広がりを見せ、春、夏号は発行部数5万部では足りなくなってきている。
春、夏号の売れ行きが好調なのに比し、冬号は若干だがストックが出る。軽井沢の「避暑地」としてのイメージがぬぐいきれないのだ。
「冬の軽井沢って、そりゃあステキなんですよ」
白銀に被われ、静寂の美をほしいままにする軽井沢の冬の魅力こそ、多くの人に知ってもらいたいと思えば、「冬号」の編集にリキが入る。「冬号は廃刊にすれば」という気持ちには、どうしてもなれない。
迷った挙句、大学は文学部を選んだ。ただでさえ4大卒の女性は就職難だったところへ持ってきて、学生結婚していた。学園紛争のさなかだった。社会に出るためには「手に職をつける」は必須と考え、卒業後に写植版下・デザインの勉強をした。
デザイン会社に勤めることしばし。軽井沢出身の夫が帰郷したいと言い出した。当時軽井沢にはデザイン・写植版下を請け負う会社はなく、地元の印刷会社は「早くいらっしゃい」ともろ手をあげて歓迎してくれた。
1972年に東京・目黒を引き払って軽井沢に移り住んだ。夫の土地があった。写植機購入にはマンションを売り払った代金をあてた。
印刷会社の下請けの仕事をしたり、別荘のオーナーが毎日発行していた手書きの「軽井沢新聞」編集の手伝いをしたりした。別荘オーナーの下でタウン誌の発行を試みたが採算が合わず続かなかった。
一旦は断念したものの、夢覚めやらず、別にタウン誌を立ち上げた。最初はB5版二つ折り・4ページでモノクロのささやかなものだったが、「軽井沢の魅力を外に向かって発信する」想い一筋が採算より何より勝っていた。
『軽井沢・Vignette」の前身になる。
軽井沢新聞の社長・別荘オーナーが亡くなった。それまで新聞に広告を提供していた大手デパートの広告が流れてきた。モノクロだったタウン誌が一挙にカラーになった。その後だんだんに増ページして雑誌「Vignette」が形作られていった。
後継者がなかった「軽井沢新聞社」の名そのものも広川さんの負うところとなった。現在も「軽井沢新聞」は毎月発行されていて、主に移り住んでくるIターンの人たちにとっての貴重な情報ソースとなっている。
「相変わらず採算はそっちのけですけどね、これは」と広川さんは笑う。
Vignette編集のために自ら取材して歩くうち、ますます軽井沢に魅了された。
遠くは明治時代に西洋人によって開かれた独特な文化の香りがあった。大正・昭和の歴史や文化を牽引した要人、文人たちの足跡がそこここに残されていた。それらの人々が愛して止まなかった豊かな自然が息づいていた。
「取材でたくさんの人とお会いできたこと。それは何にも換えられない財産ですね」
普通ではとても会うことすら難しい人も「地元だから」ということで気楽に取材に応じてくれた。遠藤周作や北杜夫、宮本輝などの作家やアーティスト、女優・俳優や舞台人、日本を動かした政治家たち、そうそうたる企業家などインタビューがかなった有名・著名人は枚挙に暇がない。
「つまり、ここに別荘を持つことは、時代の寵児たちのステイタスだった歴史があるんです」
少し歩けば「歴史的建造物」であり文化遺産でもある洋館別荘やホテルが林の中に姿を現す。かたや最近では都会の喧騒を逃れて広々と住み、ゆったりと暮らそうと移り住んでくるひとたちもめっきり増えた。それら永住層のなかには、こじんまりではあるが、手作りの「味」を大切にした、雰囲気のいいレストランや自宅開放型のカフェや陶器や小物を並べる店を営む人たちも多い。
別荘のオーナー層と永住層の融合が比較的スムーズなのに比べ、二つの層と地元の人々との融合がそううまくはいかない現状もある。三つの文化の「二極化」を広川さんは指摘する。
もともと外国人の手によって外からもたらされた独特な文化は、長い間地元の人たちにとっては「縁のない」雲の上のものであり、踏み込めないエリアだった。二つの文化は融合など望むべくもない異質なものとし
て、それぞれが別々に変遷してきてしまった。その精神的な土壌が今も地元の人たちに根強く残っている。 軽井沢のみならず日本の貴重な文化を、行政を含む当の軽井沢の人々が価値を認識していないのでは、と広川さんは心配する。
「別荘文化は自分たちとは関係ない、という捉え方じゃなく、それを含んでの郷土愛が必要なんです」
乱開発にもつながりかねない小規模開発を避け、環境を守るためには、地元の人たちの理解なくしては望めないと、広川さんは考える。いつの間にか「軽井沢の魅力を伝える」と「軽井沢の自然や文化を護る」は、広川さんの中で同義語になっていった。
英国のナショナルトラストになぞらえた、軽井沢の自然や文化を護る「軽井沢ナショナルトラスト」は設立から10年を経ようとしている。その価値を知られないままオーナーが代わるうち、床暖房やセントラルヒーティングなど、便利さだけを追い求めた結果、歴史的に価値のある洋館別荘が無残にも取り壊されてしまうことに惜念と危惧を感じた郷土歴史家や有識者とともに立ち上げたものだった。
会員として名を連ねた別荘のオーナーには元有島武雄邸や堀辰雄邸などの保存のために力を尽くした人たちも出た。元建築家レイモンド邸はペイネ美術館として保存されている。
もちろん建造物を残すことだけではなく、野鳥の声が聞こえ緑の木漏れ日がさす林や森、清らかな水の流れ、他に類を見ない野草の数々など、その周りの環境ごと護っていかなければならない。
「なんとかして地元の人たちや行政も巻き込んだ軽井沢の自然と文化を守るためのシステム作り、それがこれからの課題ですね」
少しずつでも理解をうながすことができればという思いで、Vignetteはストックが出るのを覚悟で冬号も発行を続けている。外へ向かっての発信ではあっても、続けていくうちに内側への影響力も期待できるはずだと信じればこそだ。「軽井沢新聞」も採算を度外視して出し続けてきた。2006年には観光協会が発行する「観光案内パンフレット」の編集も引き受けることにこぎつけた。
「これほど、好きなことを好きなようにやってきた人もいない、と思うくらいやりたいことをやってきたんじゃないかなー」
と、東京の大学で仏語の教鞭をとり、時々はVignette編集の助っ人にかけつける長女の美愛(ミマナ)さん。
「ま、働く女性の鏡だとは思いますよ。主婦・母親としては…だけど」
など、ちょっとばかり憎まれ口をきく娘に、笑いながら
「よく、いうわ、好きに言ってよ」
なかなかどうして、うらやましいような母娘関係のようでもある。
冬号800円
(送料210円、代引き手数料310円は別途)
年間購読:2,400円
【プロフィール】
軽井沢新聞社 編集長
『軽井沢・Vignette』編集長