メカニカルに光るリール、レザー光線で彩られたデモンストレーション。大勢の釣りびとたちでにぎわうフィッシングショーの会場で、小さいけれどちょっと変わったブースが人目を引いていました。カニつり名人生田康英が紹介する、「カニトリーナ」コーナーです。
子連れのお客が通ると「ちょっと、見てくれませんか」と生田さんは声をかけます。
「釣り糸をたらして、カニがエサをはさんだら、リールをゆっくり巻いて、パクッ」。
模型のカニがつかまると、子どもたちからワアッと歓声。他のブースでは眉間にしわをよせながら釣りグッツを吟味していた、いかついおじさんたちもこの実演を見たら、眉がハの字になって、「アハハハ!こりゃいいやあ」。
カニつり名人・生田さんは、もともと都内の小さな町で洋品店を営んでいました。ところが、バブルの時代に大手スーパーの進出に呑み込まれお店をたたむことに。その後、妻とふたりの子どものために、いくつかの職業を点々と渡り歩きました。
四十代の働き盛りでしたが、やがて訪れる老後に漠然とした不安もあったそうです。
そんなある日、テレビのワイドショーで、主婦の発明家が紹介されているのを見て、思い立ちました。「そうだ、自分も発明家になろう!」。もともと、ものごとをじっくり考え分析するのが好きな生田さん。「発明家なら歳をとっても仕事が続けられるぞ」と。
さっそく、仕事のあいまに発明家を目指す人のためのセミナーに参加し、特許取得などのノウハウを学びました。同時にさまざまな発明品をつくって、特許申請も試みたのですが、ことごとく不発……。まあ、そんなにトントン拍子に物事って運びませんよね。
月日は流れ、生田さんは50代半ばになりました。仕事は深夜便のトラック運転手。
休日、近所の海浜公園を散歩していたら、親子連れがカニとりをしていました。でも、お母さんも子どもも、なかなかカニをつかまえることができません。そこで、パッとひらめきました。「小さな子どもでも簡単にカニがとれる器械を作ろう!」
試作品をいくつもいくつも作っては、海浜公園でカニとたわむれること数年。だんだんと、満足のいく形となり、多い日には1000匹もカニがつれるようにもなり、自他ともに認める「カニつり名人」に。そんなある日、生田さんのカニつり機「カニトリーナ」が、ある釣り具メーカーの社長の目にとまり……。
これがフィッシングショーの「カニトリーナ」お披露目までのお話しです。
発明家を目指して十数年、はじめての製品化でした。
「一発当ててやろうという野心満々のときは、うまくいきませんでした。でも、フッと肩の力が抜けたら、いいものができるようになったんです」
生田さんは現在59歳。平日の9時から5時まで木工所でアルバイトをしています。奥さんは数年前に他界され、成人した息子さんと娘さんの三人暮らし。
「夜、一杯やりながら、あれをこうしたらどうかなってアイディアを練るんですよ」
土日の休みは、図面を引いたり、組み立てたりして、アイディアを形にしていきます。
次に開発中のものは?と聞いてみたら、
「ありますけどね。ふふふ、秘密ですよ」
生田さんはいたずらっ子のように笑いました。
【プロフィール】
アルバイト・発明家
HP「カニつりおじさん奮戦記」
http://shibuya.cool.ne.jp/kanituri/