世の中には、二種類のタイプの人がいると思う。
好きなことをするために仕事をする人と、好きなことを仕事にする人だ。
長年の友人である内藤洋(ひろみ)さんは、絶対的に後者である。
大学卒業後、伊豆海洋公園でダイビングインストラクターとして働いていたが、26歳のとき、よっしゃあという気合いとともに、カナダのバンクーバーへ旅立った。
学生時代、英語と聞いただけで「座り小便するほど苦手だった」(本人談)が、言葉がまったく通じない場所で自分がどんなふうに人のなかに入っていけるか、興味があったという。
地元のアマチュアラグビーチームに入り、仲間とプレイするなかで日常の英会話を身につけた。内藤さんはもともと人なつこい性格だ。「最初は身振り手振りで。どうしたら相手に受け入れてもらえるかという熱E意が大切。英語はその手段のひとつでしかないと思う」そんなふうに人々と接して、友人の輪が広がったという。
内藤さんが目指していたのは、動物写真家。
当時借りていた部屋は、キッチンの横にあるパントリーの呼ばれる、奥行き3メートルほどの倉庫スペース。家賃は日本円で約5000円。また、おんぼろ車を格安で手に入れ、その車に寝泊まりしながら、しょっちゅう取材旅行に出かけていた。
そのうちに、ダイビングインストラクター時代の知り合いのつてで、テレビのネイチャー番組のコーディネイターをつとめるようになった。
世界各地の野生動物を求めて、出かけた場所は数知れず。野生で暮らすさまざまな動物の写真をフィルムにおさめていった。
ロケハンやコーディネイターとして現地に入るとき、内藤さんが必ず持参するものがある。
味噌、醤油、味醂、和風だしの素、カレールー&シチュウルー、にんにく、生姜。
ロケ隊では、現地ガイドと日本からのスタッフが別々に食事を作って食べるのはよくあること。でも、内藤さんはそれをよしとしない。
「自然のなか、特に過酷な環境のなかで気持ちよく仕事をするためには、スタッフみんなでお腹いっぱい食べることが大切なんだよ」という彼は、ロケ中の賄い役としても貴重な存在なのである。カレーライスや醤油ダレの焼き肉は、外国人にも人気だそうだ。
食材は現地調達。北極滞在中はアザラシの肉をよく調理したそうだ。味は鯨に似て、意外とやわらかくておいしいとか。一度、ロケ隊の周りを一頭のシロクマがうろつくようになり、危険なのでやむなくハンターが撃った。 「殺したものは、食べてやるのが何よりの供養」と、シロクマの肉もさばいたそうだ。
で、なに作ったの? 「シロクマだからホワイトシチュー」とニヤリ。
それ、おいしかった? 「肉はちょっと堅かったけど、テイスティ(いい味)だった」
バンクーバーに生活基盤を置きながら、車とカメラ器財以外、ほとんど物を持たない生活を続けてきた彼に転機が訪れたきっかけは、親交のあった写真家・星野道夫さんの死。同時期に、仕事仲間のテレビカメラマンも病気でこの世を去った。内藤さんは初めて「死」を意識した。自分だっていつ死んでもおかしくないのだと…。
故郷の家族。旅先で寝場所や食事を提供してくれた人々。バンクーバーでの生活を支援してくれた友人たち。これまで自分は与えられるばかりだったけれど、今度は自分の番だ。
与える立場になりたいと実感した内藤さんは、数年前バンクーバーに家を購入。もともとお金を使うことが得意でない(?)ので、コーディネータの仕事でいつのまにかまとまった額が貯まっていた。それを資金にした。
いつでも、友だちや家族が滞在できる、開けっぴろげな家が理想だという内藤さん。彼が仕事で留守中も、友人が寝泊まりすることがあるそうだ。
気軽に旅に出る内藤さんだが、自分が家を持ってから、庭や近隣の森や公園などの自然にじっくり目を向ける機会も増えたとか。公園を散歩しながら、空に浮かぶ雲を見ながら、とりとめもなく考えたり、ボーっとしたり。そんな時間も大切にしている。
バンクーバーにやってきて23年たった。これからは、今まで撮りためてきた写真を発表したり、これまでの体験を書き綴ったりしたい。もちろん、旅はずっと続けたい。
バンクーバーの空の下、内藤洋さんは、今そんなふうに考えている。
【プロフィール】
1900年
写真家、ネーチャー撮影コーディネーター
大学で水産学を学びカナダへサケを見るため渡加、現在カナダ在住
2004年 東京新宿ペンタックルフォーラムにて写真展開催
2005年 愛媛県科学総合博物館にて写真展開催
著書に「子グマのテディ(山と渓谷社}」、
「Sockeye Salmon ( Greystone Books/カナダ、アメリカで出版)」がある。
内藤 洋さんの作品
子グマのテディ
草原の中で子グマ達が戯れ、親グマが優しく見守る。アラスカで出会った、豊かな大地で暮らす子グマの写真集。