「特に冬になるとこのベランダからの富士山の眺めは最高なんですよ」
と不動産屋の石橋さんはにこやかに説明しました。
私たち夫婦は同じマンションの中を引っ越すことにしました。どうしても将来は私の所有していたグランドピアノを入れたいので、もう少し大きめのリビングが欲しいとかねがね考えていました。ちょうど犬友である望月さんの間取りと全く同じ間取りの物件が出たのです。ちょうどドイツで会議のために不在だった夫に即間取りを写メで送りました。現在住んでいるところを売って、買い替えです。
富士山はやはり神聖な山に私の目に映ります。約40年間も海外で暮らしていたのに、富士山に対しての憧れというかとても恐れ多いという存在です。気軽に、いよーっ!というようには声をかけられません。
この眺望に参ってしまいました。夫も間も無く帰国して3週間やきもきしたらなんと思ったよりは高く売れたので、新たに富士山が見える住居が手に入ることになったのです。
暑い夏の間は霞が出たりしたため、綺麗な姿を見せてはくれませんでしたが、冬になると凛々しいお姿が毎日見られるようになりました。引っ越しのパーティーをした時に、両親が感激して「これなら観覧料が取れるね」とユーモアがある父が言いました。よくそんな冗談がとっさに言えると私たちは吹き出しましたが、横浜に住んでいる従姉はもう何十分も時を忘れて遠くの富士山を眺めていました。
毎朝、起きるとすぐに窓を全開して布団を軽く叩いて寝ている間の体温を冷まさせるのですが、その時に寒さを忘れて富士山を拝んでしまいます。それが日課になってしまいました。
特に元々抽選やらくじ運に強い私は拝み出してからもっと伊豆高原への旅行など当たるようになりました。そして一眼レフで朝に輝く富士山を撮影するのも日課となりました。以前、望月さんのお宅へ伺った時になんてハッピーなのだろうと羨ましく思ったのはやはり富士山です。彼女は10年近く住んでいるので東京湾も富士山もそれほど感動的に受け止めてはいませんでしたが、やはり40年以上の月日を経てとうとう日本へ帰ってきたのだなあとしみじみ実感します。
高校生の頃にドイツ人の神父さんがドイツ語を教えてくれましたが、彼の庭から(静岡のお住まいでした)富士山がくっきりと見えるのが自慢でした。生徒を5人ほど招待してくれて、ドイツ料理を彼自身が振舞ってくださいましたが、外国人にとっても神聖なる富士山は憧れなのでしょうね。ふと先生の嬉しそうな顔を思い出してはもうこの世にいらっしゃらないと思うと寂しい気がします。もしご健在であったら私も少しは自慢できたでしょうに。